Exhibition @ Okurayama Memorial Hall Gallery
なにも,隠れていない
多和田有希/二村道生 共同展示
2016年9月7日(水)~9月11日(日)
7日(水)15:00~20:00
8日(木)11:00~20:00
9日(金)11:00~20:00
10日(土)11:00~20:00
11日(日)11:00~16:00
※開催時間が変則的になっておりますのでお気をつけください.
〒222-0037 横浜市港北区大倉山2-10-1 横浜市大倉山記念館ギャラリー(当館2F)
アクセス 東急東横線「大倉山駅」より徒歩7分(駅とKFCの間の坂道を渋谷方向に上る)
※一般駐車場はございません.近隣の有料駐車場をご利用ください.
大倉山記念館ウェブサイト http://o-kurayama.com
作家ウェブサイト http://www.yukitawada.com
問い合わせ yukitawada@hotmail.com
TARO NASU
info@taronasugallery.com
http://www.taronasugallery.com
http://www.art-it.asia/u/taronasu
……ある場合には,極限においては,まさしく身体そのものが,自らのユートピア的な力を自らの方に向け,宗教的なものと聖なるものの空間全体を,他の世界の空間全体を,反世界の空間全体を,自らに割り当てられた空間の内部そのものへと導き入れる,ということである.そのとき,物質性としての,肉としての身体は,自分自身の幻想の産物のようなものであろう.結局のところ,ダンサーの身体とはちょうど,自分にとって内的であると同時に外的でもあるような空間そのものに従って拡張された身体ではないだろうか.麻薬中毒者も同じである.その身体が地獄になっている悪魔憑きも.その身体が苦痛,償いと救済,血まみれの天国となっている聖痕者も.(フーコー「ユートピア的身体」)
このたび,横浜市大倉山記念館ギャラリーにて多和田有希と二村道生による共同展示を開催いたします.
「なにも,隠れていない」という展覧会タイトルの含むところは,出品作品のひとつに使われているアナグラムという手法にもっともよく表れているでしょう.解けないものにとってアナグラムは不動の謎,たなごころの神秘であるわけですが,にもかかわらず,増えたり減ったりしたのではなく,あいかわらず目の前にはすべてが提示されているのです.その意味で,精巧なアナグラムは初めからアナグラムではない可能性をつねにはらむものであると,まぜかえすこともできるかもしれません.
「あらわれているものがすべてである」と明言することは,逆説的に,みえるものとみえないものとを強く意識させます.疑うべきは世界のほうでしょうか,〈わたし〉のほうでしょうか.世界は〈わたし〉の目に映るようにしか存在しないのでしょうか,むしろ世界は〈わたし〉にたいして〈わたし〉自身を隠しているのではないでしょうか――本展は,作品をめぐり異なったアプローチをとる多和田,二村両名が,このような明言の逆説性とそれがもたらす混乱を互いのうちに探り,深める試みと言えます.
多和田有希は「癒し」という非人称の行為において,自身をメディアとするような表現のあり方を模索しつづけています.写真の表面を削り,消していくという代表的なシリーズに見られる破壊行為が,にもかかわらずそれ自体ひとつのイメージを不可避的に生成するさまは,たとえばそこに確かにみえている,沈潜と爆発を繰り返す感情的起伏が,今わたしたちがこうむっているものなのか,それともわたしたちのなかに生じつつあるものの形象であるのか,それさえも定かではないような集合的,魔術的イメージであると形容したくなります.
また二村道生は言葉による作品を通して,見ることも触れることもかなわない「私的なもの」への接近を試みています.それは,表現したり表明したりする,つまり「あらわれる」ことを可能にしている世界と,そのような世界を前提とした表現というものそのものをいまいちど俎上にのせ,その再考を静かにうながすものでもあるでしょう.信仰における厭世観や卓越の否定といった世界疎外の傾向から,ジェンダー/セクシュアリティの議論が明らかにする言語=権力の支配構造にいたるまで,主題は多岐にわたります.
大倉山記念館ギャラリーという,瞑想の場としてつくられた回廊状の特殊な空間で展開される二人の実験的取り組みを,ぜひご覧ください.